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新月庵

shingetsu1.exblog.jp
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2004年 08月 17日

ムガール帝国について

 さらにネットで調べていたら、ムガールはたしかにモンゴルがアラブ的になまった言葉で、ムガール帝国の初期の王はチンギス・ハンの血を引いており、王はモンゴル帝国の再生を夢見て帝国を作った。しかし民族は既にトルコ化しており、宗教もイスラム教。そしてタージマールが建てられたころの王族はすっかりトルコ系民族だったとのこと。
 うーん、歴史って複雑です。というか自分の無知加減がお恥ずかしい。いずれにしても、インドの一大観光スポット、タージマハールを建てた人、アグラー城からタージマハールを見つめ暮らした人はインド人ではない、ということで今までの想像図に訂正を加えました。
 旅行から14年目にして知る事実。ブログのおかげ・・・です。

# by shingetsu-an | 2004-08-17 17:12 | India 1990
2004年 08月 16日

アグラー城内

アグラー城内_a0030447_1540422.jpg
自転車はどこでもなぜか思わずカメラを向けてしまう・・

アグラー城内_a0030447_15411430.jpg
傾いでいますねぇ・・。闊歩する女の子が通り過ぎないうちにとアセッていたよう。UPするような写真ではないのですが、アグラー城の写真があまり残っていないので・・

 この城は二重の塀と堀でかこまれた堅固な要塞なのだそう。アジア一帯に領土を拡げたモンゴル(ムガール)帝国の王。しかしそれは決して安穏と支配者の地位を楽しむだけの生活ではなかったと想像します。

# by shingetsu-an | 2004-08-16 15:51 | India 1990
2004年 08月 13日

アグラー城より

アグラー城より_a0030447_1238518.jpg
 アグラー城自体の写真は撮らなかったらしい・・
 タージマハールはムガール王朝第5皇帝シャージャハンが妻の死を悼み建てた彼女の墓。 シャージャハンはこの後、まったく同じものを黒の大理石で、河の対岸に建てようとしていたそうだ。自分の墓としてである。 
 しかしそれはかなわず、息子のアウラングゼーブ帝に政権を奪われ、このアグラー城に幽閉されたまま、死を迎える日までこの写真のようにここからタージマハールを眺めて過ごしたそう。
 この白のタージマハールを建てるために費やした年月22年(1653年完成)と膨大な国費。愛しき妻のため?ネジが抜けたじい様という感じがしないでもない。 息子の気持ちもよくわかるような気がする・・・。

 ところで、今ネットを調べていて初めて知ったのだが、ムガールとはモンゴルがなまったもの・・・なのだそう。ということは、これって我がモンゴル族(自分はモンゴリアン・・間違い、モンゴロイドだと固く信じている)の偉業なわけ・・・?驚いた。

# by shingetsu-an | 2004-08-13 12:53 | India 1990
2004年 08月 12日

アグラー城へ向かう

アグラー城へ向かう_a0030447_191225.jpg
翌朝アグラー城へ向かう。
途中の公園から見る、朝陽に浮かぶタージマハール。

# by shingetsu-an | 2004-08-12 18:09 | India 1990
2004年 08月 11日

タージマハール 続き

タージマハール 続き_a0030447_8191284.jpg


タージマハール 続き_a0030447_8193742.jpg
 大理石の表面はこんな美しい彫刻が全面にほどこされている。

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 中に入る前の池で身を清める人々。水で清めるというのはどこでもある習慣なのだろうか。
 この日はどういう具合か夕方まで一般開放されておらず、門の前でたくさんの人が開くのを待っていた。開門と同時にどっと流れ入る人々のパワーと熱気にタジタジ・・・それがこの場所でのいちばんの思い出。

タージマハール 続き_a0030447_8195644.jpg


タージマハール 続き_a0030447_8202799.jpg
 たぶんここに来られる人々は裕福な階層のインド人かと思う。女性の衣装の美しさと恰幅のよさ(すみません・・)に目が留まった。

# by shingetsu-an | 2004-08-11 08:28 | India 1990